いつもオカ板を見ています。

Posted on 4月 30, 2014

いつもオカ板を見ています。
皆さん、色々と体験されているようで正直怖いと共に、少し羨ましいです。
私はそういった霊感とか不思議体験とかとは無縁で、皆さんのお話をとても
興味深く拝見させてもらってます。
しかし、ずっと見ているだけと言うのは、部外者の様で寂しいものです。
なので、私も何か出来ないかな?と思いネタを投下してみようと思いました。
それは、廃村に肝試しに行って誰かが行方不明になったので、助けて欲しいと言う
スレ立てをしようと言う物です。
勿論、私は怖がりな性質なので、話を聞く分には良いのですが実際に行くなんて事は
考えただけでぞっとします。
正直、夜道を一人で歩くのも怖いから部活にも入らず帰宅部です。
そう言う訳で、実際にスレ立てする前に余りに稚拙な内容だと直ぐにネタだとばれてしまいそう
なので、一応ストーリーを考えてみました。
登場人物や、廃村の場所、時間帯や周囲の建物等に関しての情報を予め地図や、ネット等で調べて
手帳に書いておきました。

スレ立ては左程難しくなく、飢えたオカ板の方々(失礼)が直ぐに反応してくださいました。
私は其れを見てとても高揚しました。
それは、自分が主役で物語を見ていると言う高揚感でしょうか?
住人の方には申し訳ないですけど、この時私は時間を忘れてパソコンの前にいました。
実際、病気と偽り学校もサボって張り付いていました。
時折、近場の情報を他人を装って書き込むと、面白いように反応が返ってきます。
嘘か本当か疑問に思いながらも、皆さんを巻き込んで動く物語を見るのはとても面白いです。

でも、本当に唯の冗談だったんです。
唯、自分も参加したいと思って書き込んだだけなんです。

ある日を境に、スレの内容が変化しました。
BB氏『廃村を見つけた!!』
この書き込みで全てが変わったと思います。
私は、目を疑いました。
そんな廃村が本当にあるのでしょうか?
もっとも、自分が出かけた訳ではないので真偽を判断できません。
この時、私は主役から傍観者になったような気がしました。
それは、私にとって耐えられないような疎外感です。

だから、書き込んでしまいました。
私『それは、五十五年前に事件があった杉沢村か?』と・・・。
その頃、杉沢村はメジャーではありませんでした。地元ネタとして過疎化した村を心霊スポットとして
騒いでいただけです。(その後、ネットとたけしさんのテレビで有名になりますが・・・)
当然、『何だその村は?』と言うレスが返ってきました。
私は得意になって地元ネタを改変して書き込みます。
どうしても、主役でいたかったのです。少なくともこの時間は、私にとって唯一の時間でしたから。
色々と情報が錯綜し、何度目かの探検隊が結成され、遂にデジカメ装備して廃村に突入すると言うレスがありました。
何しろ、山の中にあるそうなのでいろいろ準備したそうです。
私はわくわくして見ていました。
本当に危険な場所かもしれない所を、安全な場所から見る事が、何か特別な立場にいるような気がしたのです。
秘境探検のテレビを見ているように。

しかし、突入の書き込みを最後に以降のレスが途絶えました。
翌日になっても、その翌日になっても報告はありませんでした。
スレ住人は、釣りか!と怒っていましたが、私は胸騒ぎがしてなりませんでした。

しかし、その翌日、テレビで『山菜取りの男性が、遺体の一部を発見』というニュースをやっていました。
場所は、廃村があったという場所のそばで、山菜取りに来ていた男性が発見したそうです。
ワイドショーで取り上げられたので知っている人もいるかも知れません。
遺体は酷く損傷しており、少なくとも三人分(バラバラという事でしょうか?)ある様な報道です。
何かに食い荒らされたような、テレビでは熊か、野犬ではないかと言っていましたが・・。
行方不明の探検隊も確か三人・・・。
私は自ら煽った結果に慄きました。
いや、私のせいじゃない。
私はただ、地元ネタを書き込んだだけだし、何の罪がある?
第一、あの三人だと言う証拠は無い。
しかし、怖くて仕方ありません。
どんな死に際だったのでしょうか?
もう怖くてオカ板に来る事はできませんでした。
町を歩いていても、ログから私の居場所を突き止めて警察が来るのではないか?
誰かが、私の事を突き止めてテレビに報告したのではないか?
誰もが私を見ているような気がしてなりませんでした。

それから、一月程びくびくして暮らしていました。
表向きには相変わらず、人畜無害な学生。
内心は犯罪者の気分。
当然、元来小心者の私に耐え続ける事など出来ません。
ある日、勇気を出してオカ板を覗いてしまいました。

『杉沢村スレを見た奴が、怪奇現象に遭っているという件』
 探検隊が惨殺され、その後、このスレに関連した連中が次々に幽霊や怪奇現象に遭遇した。
 事の発端である******(私のコテハン)は出て来い!!

心臓が跳ね上がりました。
それでも読んで行くと、死んだ三人の幽霊?がこのスレの話をしている人たちの傍に出現して
いると言うものです。
実際見たと言う書き込みが何件もありました。
血塗れで、這いずる様に・・。
バラバラの体が別の生き物のように転がってくる・・・。
泣き叫びながら、夢の中で追いかけてくる・・。
真偽は定かではありませんが、中には精神病院に入院したり、行方が判らなくなっている人もいる様です。
探検隊や、その実行者、纏めスレを立てた人たちもこれを期にこのスレから撤退すると書いてあります。
私は、主役でありたかった。
其れは本当です。
でも、今となっては大勢の中に隠れなければなりません。
この話を見た・聞いた・知った人の元にやってくるという血塗れの幽霊。
ならば、多くの人に見せれば・・・・・。
私の見つかる確率は下がるのではないでしょうか?

最後まで読んでくれてありがとうございます。

そして、ごめんなさい。

車で運転中に俺にとっては怖いことが起きたんだ。

Posted on 4月 29, 2014

車で運転中に俺にとっては怖いことが起きたんだ。

赤信号で停車してると「ほら、そこの車よく見てて」
不意に低い子供の声が聞こえたんだ。
ラジオは消してるし窓は閉めてるから周りの車の子供ではない。
「赤信号で止まってるでしょ?」
俺はなんのことか分からずハンドルを握って硬直してた。
「そろそろ向こうから車が走ってくるよ」
俺は正面の道路を見た。すると猛スピードで走ってくる車が。これは赤信号では止まれない。
「3、2、1、どーん」
そういうと子供が言っていた車は衝突した。
「交通事故には気をつけてね」
そういうとなんと言うか、後部座席にあった子供の気配が消えた。
俺は後部座席を見た。
「僕みたいになるから、ね」
そこには血まみれの子供が俺も見てほほ笑んでいた。

30年ほど前の話なので、解る方と解らない方がいらっしゃると思いますが 「そうなんだー」程度で読んでみてください。

Posted on 4月 28, 2014

30年ほど前の話なので、解る方と解らない方がいらっしゃると思いますが
「そうなんだー」程度で読んでみてください。

K県Z市、以前はK郡と呼ばれていた場所なんですが、
ちょうどベビーブームだったのでしょうか、どんどん新しい学校が出来た時代です。
私も古い校舎のS野小学校より、近所に新しく建設中のSが丘小学校に通うのが楽しみにしていました。
Sが丘に移る前の年、最後のS野小学校での出来事です。
私たち低学年は、1年と2年の間だけプレハブの校舎で授業を受けたのです。
冬場は寒かったですが、ストーブを囲んでの授業など、今となってはいい思い出です。
そんな時代、私たちの間で流行していたのが「スカートめくり」と「女子トイレのぞき」です。
男子は誰もがやっていたと言えるほどでした。
スカートめくりは別にいいんですけど、トイレをのぞかれるのって当時先生たちの間でも問題になり、
厳罰というほどではありませんが、親を呼び出して注意されるくらい厳しかったと記憶しています。
そんな流行が、だんだんと収まりかけてきた2年の冬・・・
2年9組の男子が行方不明になる事件が起きました。
それと同時期に、再び女子トイレがのぞかれるといった事件が多発し、
先生による巡回、過去にのぞきをした男子生徒への再三の警告、
それでものぞきが減らなかったため、学校側はついにプレハブのトイレの
全面使用禁止を打ち出しました。

二ヵ月後、バキュームカーって言うんでしょうか?
汲み取りの業者が、子供の遺体を発見しました。

その間、生徒たちの間ではのぞきの犯人は行方不明の男子だとか、
使用禁止のプレハブのトイレを使っての肝試しとか、
冗談のような遊びが一時期流行ったんですけど、
遺体が見つかった時は大変な騒ぎで学校中がパニックでした。

翌春、私たち同級生の半数は新しい学校に移りました。
中学生になり、再び前のS野小学校の仲間とめぐり合うまでは
事件のことも忘れかけていたんですけど・・・
中1の時、そのことが話題になって、S野小学校を卒業した友達が言ってました。
S野小学校の卒業写真(クラスの集合写真)は撮影日が2回あったって言うんです。
もしかしたら、最初の写真に何か問題があったんじゃないかって。
その証拠に、卒業アルバムの別の写真(授業中の風景)には、
明らかに小6とは思えない、小さな子が写っていました。

風邪をひいたらしく寒気がするので、東京の大久保にある病院へ向かった。

Posted on 4月 27, 2014

風邪をひいたらしく寒気がするので、東京の大久保にある病院へ向かった。
頭がぐわんぐわんと痛み、西武新宿線のつり革にしがみつくようにして、目を閉じて必死に耐えていた……そこで記憶が途絶える。

気づいたら夕暮れどき、見知らぬ場所に立っていた。
いままで買ったことのない服を着ていて、髪は染めたこともなかったのに茶髪。
パニックになり、近くのラーメン屋に駆けこんで場所を尋ねたら、大阪市の福島駅の近くだった。
しかも一年ほど時間が経っている。
ケータイは機種が変わっていて、アドレス帳には「ま」とか「ひ」みたいな一文字の名前の登録が10個ほどあっただけで、
知人や家族の番号はなかった。わたしはなぜか、その知らない電話番号が怖ろしくなって、
ケータイを川に投げ捨てた。

警察から実家に連絡したら、家族もびっくりしていた。
捜索願を出していたらしい。
その後、東京の実家にもどり、もとの会社にはクビになっていたので、いまは派遣の仕事をやっている。

私は数年前まで中学校の教員をやっていた者です。

Posted on 4月 26, 2014

私は数年前まで中学校の教員をやっていた者です。
学校というところは、大勢の人間が行き来するだけに
さまざまな『気』が澱んでゆく場所のようです。
よい意味で清々しい気もあれば、悪意に満ちた気もある…
これはそんなことではないかなという私の体験です。

私が教員になったばかりの頃ですから、
今から15年以上前になります。
当時一人の病弱な男子生徒がいました。

先天的に腎臓に障害があり、小学校時代から定期的に人工透析を
受ける生活を続けていた彼は、
自分の病を正面から受け止めて精一杯生きている少年でした。
「頑張り屋」…当時の彼を知る周囲の一致した評価です。
教室では誰もが自然に、彼に一目置いていました。

体がきつい時でも笑顔を絶やさず、決して人の悪口を言わない。
話も面白いし、友人の悩みごとの相談にものってあげる。
学校を休みがちだったにもかかわらず勉強でも上位の成績を
維持していましたし、それを鼻にかけることもない。
誰もが嫌がる秋の恒例行事『駒ケ岳縦走』も、病をおして
三年間とも参加するなど、大人の我々から見ても
彼の頑張りは尊敬に値するものでした。

それは学校祭も駒ケ岳縦走も終わった晩秋のことでした。

ある日の放課後のことです。
部活動も終わり、生徒も下校した6時過ぎでした。
すでに日は落ちて、校舎の中はもちろん外も真っ暗になっている
時間帯です。日直だった私は一人で校舎内を見回っていました。

面倒なので懐中電灯などは持っていませんでした。
築20年を経た古びた鉄筋校舎の明かりは、
廊下のちかちかと薄暗い蛍光灯だけです。
当然、教室の中は真っ暗です。

私の担任していた3年2組の教室の前まで来た時、
校庭の常夜灯に照らされて窓際の机に人影が見えました。
正直ぎょっとしましたが、やがてそれが彼であると気づいて
私は躊躇なく教室に入って行きました。
「なんだ○○、驚かすなよ。忘れ物か?」
そんな声を掛けたのだと思います。返事はありませんでした。
「電気くらい点けろよ…びっくりするじゃないか。」
言いながら教室の電気を点けました。

古ぼけた蛍光灯が点るまで、一瞬の間がありました。
見ると、彼は自分の机に座ったまま黙ってこちらを見ています。
私は必要以上に大声になっている自分に気づきながらも
続けて彼に話しかけました。なぜだか、話しかけずにはいられない
気分で…「真っ暗じゃないか。何を忘れたんだ?」

彼はまだ黙っています。座ったままです。でもこちらを
じっと見ています。
「もう遅いから、早く帰りなさい。あったのか、忘れもの・・」
言いながら彼に近づいていきました。
その時ふっと、彼の表情が変わったように思いました。

「・・何を忘れたんだ」
自分の声が、無残にも尻すぼみになるのが判りました。
そこに居る少年が、いつもの柔和な表情をしていないことに
気づいたからです。

それは…厳しい表情でした。いや、厳しいというより
何か「邪悪な」といった表現がしっくりする表情です。

目がすっと細くなり、薄い唇の端が引きつって震えている。
硬い頬に歯を喰いしばったような筋肉のすじが浮き上がり
色白の顔には額の血管までもがはっきりと浮き出して見えました。
机の上に置いた白い指が、神経質に震えているのも判りました。

やがて彼は口を開きました。
「はい。もう帰ります。」
「あ、ああ。気をつけてな。」

私が先に教室を出ました。
彼が口をきいたことで何故かほっと安堵の想いが湧き上がった私は
肩越しに振り返りつつ彼に話しかけました。
「で、何を取りにきたんだ?」

言いながら振り返ったそこには…誰も居ませんでした。
がらんとした無人の教室。
同時に私は思い出したのです。
彼は先週から具合が悪くなり、県外の病院に入院していたことを。
翌日、彼が亡くなったという知らせがありました。

そして級友たちに見送られて彼が旅立った葬儀の翌日。
一枚の写真を持って、女子生徒たちが憤慨しながら
私のところにやってきました。
それは今年の駒ケ岳縦走での集合写真でした。

「先生みてください、これ!!」
それは山頂で撮ったクラスの集合写真でした。
先日から購入希望を募るため、教室の掲示板に
貼り出してあったもの。
青空の下、連なる峰々を背景にそれぞれ思い思いの格好で
ポーズするクラスメイトたち。しかしその顔には…

画鋲を無数に突き刺した痕がありました。
全員の顔に、ブツブツと乱暴に穿たれた傷痕。
…いや、正確には「一人を除いて」。

ボロボロの写真の中には、彼の笑顔だけがあったのです。

これは私の単なる錯覚に違いないと思いたいのです。
でもあの教室での彼の表情を思い出す度に
ひやりとするものが私の心に甦るのも事実なのです。

義父が亡くなった後の墓参り兼の精進明けで我が家に集まった

Posted on 4月 26, 2014

936 :本当にあった怖い名無し:2014/02/28(金) 10:33:39.54 ID:+uMGSAfB0
義父が亡くなった後の墓参り兼の精進明けで我が家に集まった(お墓の最寄りだったw)際に、
故義父が好きだった店のうなぎを出前で取った。
義兄嫁が私に「葬式関係の集まりで鰻なんて非常識って知らないの」って怒り出した。
旦那が精進落としについて説明し、義母が「自分がそこの店を指定した」と説明してくれたところ、
義兄嫁の怒りがなぜか義兄に向いた。
義兄は「そんなことは普通に知ってると思っていた」と返事したため、
義兄嫁は「わたし帰る!!!」と席を立って騒いだけど、車で来たので運転できなくて帰れず。
私に「客なんだから駅まで送って」と騒いで義兄に怒られて、うちの廊下でしくしく泣いて見せていた。
うなぎ美味しかった。
義兄嫁の分は手つかずだったので、入れ物(お重はあちで回収に来るから)移してラップして夜食べた。

937 :本当にあった怖い名無し:2014/02/28(金) 10:36:29.05 ID:+uMGSAfB0
そしたら、数日後に義兄嫁から電話が来て『あの鰻どうなった』と聞いてきた。
私と旦那で半分して食べましたよと言ったら、『今すごい鰻が食べたい・・・』と泣き出した。

義兄嫁が友達に愚痴ったら、
「精進落とししなかったから、廊下で泣いてた時に餓鬼がついたんだ」って言われたらしい。
廊下って玄関からまっすぐいろいろ入ってくるから、泣いたりしたら真っ先にとりつかれるらしい。

938 :本当にあった怖い名無し:2014/02/28(金) 10:41:01.58 ID:+uMGSAfB0
その友達曰く、もう一回“やり直し”して帰ってもらうしかないと言ってるそうだけど、
我が家は義兄嫁に来て欲しくなかったから断った。
かなり食い下がられたし泣かれたけど、車じゃないと行き来しづらい距離だったこともあって断った。
翌年の夏ならお彼岸でうちに集まるから、どうしてもならその時にって返事した。

会ったのは2年後だけど、義兄嫁はもともと細い人じゃなかったけどブクブクに肥えていた。
何を食べてもお腹がすくと、病院にも行ったけど病気じゃなかったそう。
そんなになってるとは知らなかった、遅まきながら“やりなおし”をやった。
墓参りしてから鰻を食べて和やかに別れた。

翌年あったら確かに痩せてきていた。
つきものが落ちた気分だそう。

私はバスの運転手をしています。

Posted on 4月 25, 2014

私はバスの運転手をしています。

私は結構田舎のほうでバスの運転手をしているのですが、
夏、お盆の時期になると都会から実家に帰ってくる人が多いのかお客は増えました。
むし暑い夜だったので冷房を聞かせすぎ異常に寒かったのを覚えています。

いつものように、走っていると道端で手をあげる老人の集団を発見しました。
普通はバス停でとまらなくてはいけないのですが田舎なので道端で手をあげてられたら
止まってもOKという暗黙のルールのようなのがありました。
もちろん手を上げられたので止まります。その老人を乗せ。また出発します。
しばらく走っていましたが、あまりにも老人たちがしゃべらないので乗せて走っている事を忘れかけていたことろでした。
「ピンポーン」
下車を告げるベルが鳴ると同時に
「あ、そういえば客いたんだ。」
と気付きました。ふと鏡で後の席をみると
「だれもいねぇ・・・」
よくよく考えてみるとバス停なんて近くになかったのです。
間違ってボタンを押さない限りベルが鳴るはずないんです。
しかし10mほど走ったところに墓地がありました。
「なるほど・・・」

私は、誰も乗っていないバスを止め扉を開き、手をあわせました。

ドッキリした怖い体験です。

Posted on 4月 24, 2014

ドッキリした怖い体験です。

私が高校生で休日に女友達4人で、私の家で稲川淳二の恐怖劇場(だったかな?)を見ていました。
そのときは昼間だったので、結構騒ぎながら見ていました。
そのビデオの内容は、稲川がなんかのビデオ作成で旅館に泊まったときに恐怖体験をした、という内容のものでした。
正直最後にドキッ!とするだけで怖さはあまりなく、私たちが求めていた恐怖では無かったので、その場がしらけてしまいました。
そのしらけた空気を何とかするために、皆ビデオの感想やドッキリしたシーンを何度も繰り返しみたりしていました。
ふと気がつくと、もう6時ぐらいで結構外は暗くなっていたので、解散することになりました。
ビデオ鑑賞していた部屋が両親の寝室だったので、掃除をしなくてはいけませんでした。
しかし、何故かもう一度そのビデオを一人で見ようと思い、両親の寝室で鑑賞していました。

「あぁ~、掃除しないと、、、」と思いつつも、私はクライマックスが近いビデオに釘付けでした。
クライマックス近くで異変は起こりだしました。突然襖がスゥーー・・・パチンッ!としまる音がします。
「!?なんだ??」振り返ってみても、もちろんその部屋には私しかいません。
「???」気のせいか、と思い気をとり直して見ているとまた、スゥーー・・・パチンッ!
「・・・・・気のせい・・・気のせいだ・・・・」   
スゥーー・・・パチンッ!
「!!!!????(気のせいじゃない!?)」怖くなりすぐにビデオを止めました。
もうこんな部屋でビデオは見ていられません。
恐怖心を拭うために、部屋を掃除してからここを出よう(もう一度戻るの怖いし・・・)、と思い廊下にある掃除機をとりにいくため、真っ暗な廊下に出た瞬間真後ろから

「楽しかった?」

と、子どもの声が・・・・・。

その子どもは男の子か女の子かという判別は出来ませんでしたが、甲高い子ども独特の声でした。
「!!!!!!!!」バッ!!と振り返ってももちろん誰もいません。
あるのは何なのCMを流しているTVだけです。
CMも子どもが「楽しかった?」と問うような内容ではありませんでした。

その後は、何も無かったのですが、今回借りた稲川淳二のビデオをみると必ず襖が閉まる音がします。
シーン的に襖が閉まるようなものではないのですが・・・。
これってビデオに入っている音なのでしょうか?どなたか見たことのある人います?
いたら私を安心させるために教えてください^^;

乱筆乱文で申し訳ありませんでした。

ピッ…ピッ…ピッ… シュコー…シュコー

Posted on 4月 23, 2014

ピッ…ピッ…ピッ…
シュコー…シュコー

あーうるさい、この音気になってちっとも眠れない。
そんなに毎日寝てられるわけないじゃない。背中痒い・・・
何時になったら学校いけるんだろう、退屈で死んじゃいそう!

「ユキコちゃんおはよー」

おか~さあ~ん、背中痒いよ~

「今日ね、お庭で綺麗なお花が咲いてたから持ってきたの、綺麗でしょー」

花なんかどうでもいいよ~、早く学校いきたい!

「お母さん、おはようございます」

「あ、先生、おはようございます」

「お母さん、先日の話考えていただけましたか?」

「えぇ、主人とも相談したんですけど、この子の体で人の命が救えるのならこの子も喜んでくれるでしょう・・・」

「ご理解ありがとうございます。幸いユキコさんは頭部以外に損傷がありません。
 きっと多くの方の命を救うことができますよ。早速ですがこちらの承諾書にサインをお願いします」

ちょっとお母さん!先生と何話てるの?ねーおかーさん!
あーもう!なんで声が出ないの!なんで体が動かないの!
おかーさんってば!

悪夢を見た。

Posted on 4月 22, 2014

悪夢を見た。
ただひたすら、手で首を絞められてる夢。
相手の顔は靄がかかったかのように見えない。
振り解こうと必死にそいつの手首を掴むも、一顧だにされず
意識が少しずつ薄くなるのみ。

目が覚めたのは夢の中で意識が途切れたと同時だった。
思わず首に手をやる。嫌な汗が体を包んでいる。

これで首に手形の痣でも残っていれば怪談話だ。

そう思いながら洗面所で服を脱ぎ鏡に目をやった刹那 凍り付いた。

残っていた。紫色の 手形の痣が くっきりと

首では無く、手首に。