私の田舎ではコッケさんといって、コケシのような呼び方をすると大人に相当怒られました

Posted on 10月 17, 2017

私の田舎ではコッケさんといって、コケシのような呼び方をすると大人に相当怒られました。
中学生に上がりたての頃、半端なエロ本知識で「電動こけし」という単語を知ったクラスの友達が、コケシコケシと連呼してるのを、指副担に見つかり、バカスカ殴られてました。
大学に入って初めて知ったのですけど、指副担(シフクタン)なんていう役職はほかの地域にないんですよね。
あ、指副担というのは、生活指導副担という意味で、別に何の教科を担当してたわけでもないです。
野球部のコーチみたいな感じで、毎日学校には出てくるのですが、だいたい用務員室で茶飲んで定時前には帰るような感じでした。
学校行事の中で、踊りみたいなものは、指副担の先生が指揮をとってました。
運動会で、必ず、メイポールの祭りみたいな踊りを、伝統的にやらされてたのですが、これは、指副担の先生の独壇場でした。
列が乱れたり、ポールから引いたリボンがたるんだりすると怒るような。組体操よりぜんぜんこっちが大事でした。
体育教師の数倍ヤな感じでした。
高校に入って、地元の青年会に入ると、コッケさんのあらましは聞かされるのですが、それもまぁ、コッケさんという地神さんは伝統だから、行事は守らないといけない、みたいな感じの話で要領を得ません。
地域に大きな寺社や宗教施設がないし、中学高校にもなると、さすがに、いろいろヘンなうわさが立ってました。
・**中学の裏にある井戸が本尊で、毎年一人生贄にされる
・高校出て町に出るときは井戸に後ろ髪を納めさせられる
噂は噂でしたけど、実際私がいたころは後ろ髪を伸ばした奴が多かったです。単なるヤンキーだったのかもしれないですけど。今は帰らないのでどうかわかりません。
今、同郷の女の子が近くのマンションに住んでて、そのこの叔父さんが指副担やってたんですけど、このスレで、コケシの話題が出てたので、なんか関係ありそうだったので、聞いてみました。
* *
私たちがコッケと読んでいるのは「固芥」と書くらしいです。
明治に入ってすぐのころ、飢饉と水害の土砂崩れで、村が、外部との交通が遮断されたままひと冬放置されたことがあったそうです。
十二月二十八日のこと(旧暦かどうか不明)、知恵の遅れた七歳の子供が、村の地区(どの地区かは教えてくれませんでした)の備蓄の穀物を水に戻して食べてしまったそうなのでした。
その子供は村の水番が、妹との間につくった子供で(本当かどうかはわかりませんが、水車小屋のような場所があったのですぐそういう、性的な噂が立てられた)水番が罪を犯すと翌年は日照りになるという迷信がまだ残っていました。
水番は責任感が強かったので、子供を殺して村に詫びようとしたそうです。
実際
「子供を殺せ」
と書いた無記名の手紙を投げ入れるような嫌がらせが、すぐ始まったそうです。
水番に不利に扱われていた家も多かったし、実際、穀物の管理責任は水番にあるので、そういうのがおきても仕方ない状況ではあったそうです。
年明けて、一月二十八日の深夜、いくら何でも水番が自分の息子を殺すのを容認はできませんので、このことは村全体で考えよう、と談判していたところだったのですが、水番の妻が泣きながら世話役の家に走りこんで来て、亭主が首を括ったので来てくれ、と言うのです。
水番の家に行くと、井戸の上に「井」の字に竹を渡して、そこから首を吊るすようにして絶命している水番がいました。
あまりの酷さに世話役たちが顔を背けていると、くだんの息子が、傍らから、世話役の袖を引いて、
「みましたか! みましたか!」
と、目をらんらんと輝かせて尋ねるのだそうです。
この子はもはや正気ではないとはわかっていました。
が、当時の解釈では、これは、水番の相反する気持ちが、子の魂は滅ぼしても子の肉体は母のために生かしておいてやりたい、という願いになり、親子の魂が入れ替わったのだ、というのが支配的でした。
間引きのために子供を殺したことはありませんでしたが、このとき、村で初めて、この子供を
「殺そう」
という結論が出たのだそうです。
横糸を斜めに織った長い綿布で首を包んで、布に少しずつ水を吸わせて、誰も手をかけないうちに殺そうということになりました。
しかしそこは、素人考えですので、首は絞まってもなかなか絶命しません。
子供は父と同じ顔で
「誰じゃ、食ったのは誰じゃ」
と声を上げていました。
恐れおののいた村人は、父が死んだのと同じように、井戸に竹を渡してそこから子供を吊るしました。
ものすごい形相でにらむので、まぶたの上から縦に竹串を通しました。子供は、数日、糞便を垂れ流して暴れたのち、絶命しました。
その明けた年は、飲み水から病気が発生し、多くの人が命を失いました。
さらに、本当に穀物を食ったのが、この子供ではなく、世話役の十三になる子供だったことがわかったのだそうです。このとき、世話役は躊躇なく、わが子を同じ方法で吊るしたのだそうです。
あくる年の一月二十八日のことだそうです。

「というわけで、一月二十八日はコッケさんの日になったんですよ」
「はー、なるほど。命日なわけな」
うちで飯を食べてもらいながら、彼女(指副担の姪っこ)に、教えてもらいました。
「だから固芥忌(コケキ)っていうのが正しいんですよ。」
「運動会の行事も、意味わかると、ひどいね」
「…村人全員で子供をシめる儀礼ですからね。本来こういう形でやさしく弔ってあげたのに、という。偽善ですよね」
「うん」
(運動会の踊りは、メイポール Maypole の祭りに似てますので、知らない人は検索してもらうとどういう形なのかわかります。中央のポールが子供です)
「…あとですね、これ、私一人で気づいたんですけど」
彼女は、ペンを取って、チラシの裏に、「芥」の字を書きました。
「おお、28やん。オレも今気づいた」 くさかんむりと、その下の八の字で、二十八と読めます。
「え?」
彼女はきょとんとしていました。
「いやだから、にじゅうとはちで、その命日を表してるんでしょ?」
「…ほんとだぁ」
「え、違うの?」
「いや、そっちが正しいんですよねたぶん」
「何よ、教えてよ」
「いや、いいです」
しばらく押し問答した末、彼女は折れて、文字を書き足しました。
「これね、縦書きなんですよ」


「目をつぶされた子供が、竹の枠に首から下がってるの、わかるでしょ?」

もう30年近く前の俺が幼稚園に通ってた頃の話です

Posted on 10月 17, 2017

今年33歳になるが、もう30年近く前の俺が幼稚園に通ってた頃の話です。
昔はお寺さんが幼稚園を経営してるケースが多くて、俺が通ってた所もそうだった。今にして思うと園の横は納骨堂だったし、その隣は古い墓地だった。
夕方、幼稚園の遊具で遊んでいた。外には俺一人だった。室内には何人も人がいたんだと思う。でもそのときは何故か俺一人だった。
ジャングルジムの上に人が座っていた。男の子だった。黒の半ズボンに黒い金ボタンの上着を着ていた。裸足だった。
坊主頭で小学生くらいだったんだろうか、すぐ自分より2つ3つ年上の子だと分った。その子はじっと俺の方を見ていた。
特に怖いとかビックリした記憶は残って無い。ただ何故か無性に寂しくなったのを覚えている。
その子は黙ってジャングルジムから下りると、納骨堂の横を通って墓地の方へ歩いて行った。
俺はその子の後について行った。墓地と言っても園の隣で見慣れた景色だったし、日頃かくれんぼをして遊ぶ場所だったので特に怖いとは思わなかった。
その子を目で追ってたつもりだったが、何故か今思い出そうとしてもその時の光景が思い出せない。だが、その時見た苔の生えた小さな墓だけは鮮明に脳裏に焼きついている。
古い墓地によくある巨木が夕日を遮っていたので辺りは薄暗かった。その薄暗さを意識した瞬間、すごく怖くなって走って園に戻った。
時間にして1~2分の出来事だったんだろうが、今思うとすごい長い時間だった様な気がしてならない。
しばらくして祖母が迎えに来てくれた。
今思うと祖母が迎えに来てくれたのはその時が最初で最後だった。
何故かその時、祖母の顔を見た瞬間の安堵感を覚えている。
そして祖母は墓の方を物悲しい顔でしばらく見ていた後、「○○ちゃん(俺)何も心配せんでよか・・・ばあちゃんがちゃんとしてやっけんね」
と俺の顔をまじまじと見ながら言った。
二人で手を繋いで家に帰った。途中、駄菓子屋の前を通りかかった時、俺は無性に寄り道したかったが、「今日はあかん!今日はあかん!早よ帰らんばあかん!」と祖母にたしなめられた。
祖母が死んだのはその日の深夜だった。
何故か俺には祖母の死が記憶としてハッキリ残っていない。葬儀で親戚やら知人やらが家に大挙して慌しかったのは覚えているが、祖母が死んだ悲しさが今でも全く記憶から消えている。
翌年、俺は小学生になった。小学校も幼稚園と道を挟んで隣接していたが、俺はその後、一切近寄らなかった。正確に言えば近寄れなかった。
意識すると頭の中に苔にまみれたあの小さな墓が浮かからだ。
中学2年になった時、町内のボランティアで再び幼稚園のあるその寺を訪れることになった。
墓地は整備され、古い無縁仏や墓石は撤去されて以前の面影は残っていなかった。幼稚園も新築され、当時とは全く景色が変わっていた。
寺の本堂が改築されるらしく、古い荷物やらゴミやらの掃除がボランティアの仕事だった。住職が何十年もの間、寺に持ち込まれた物を整理している。
その中に遺影が何十枚もあった。俺と友人はそれを外に運び出すよう言われた。黄ばんだ新聞紙に包まれた遺影の中に一枚だけ裸の遺影があった。
俺はその遺影を手に取って見た瞬間、全身の血が凍った。あの時みた少年の遺影だった。そしてその少年の背後からその少年の首をこの世の物とは思えない形相で絞めている祖母の顔が写っていた。
俺は気を失い、目がさめた時は病院だった。父も母も恐怖で顔が尋常ではなかった。
後に写真は住職が供養して焼却処分したと聞いた。父が住職に聞いた話では、その少年は戦時中、土地の地主が養子に引き取った子で、かなりの冷遇を受けた後、病死したらしかった。
祖母は若い頃、その地主の家で手伝いをしていたらしく、かなりその子を可愛がっていたそうです。
その少年は多分俺を連れて行く為に現れたんだろうと住職は言っていたそうです。祖母はそれをさせまいとして、その結果があの写真だったのだろうと言っていました。
その後、すぐ引っ越したのですが、今でも思い出します。

大学の合宿施設の近くに実家のある先輩に誘われて、地元の花火大会を見学していた

Posted on 10月 16, 2017

もう十数年前、大学生だった私は、部活の夏合宿(と言う名目の旅行)に出かけ、その帰り、大学の合宿施設の近くに実家のある先輩に誘われて、地元の花火大会を見学していた。
花火大会の後、会場近くの河原で買い込んだ花火を楽しみ、そのまま先輩の車に同乗させてもらい、東京に帰ることになった。
河原で花火を楽しみ、しばらく休んだ後の出発だったので、時間は、12時を過ぎて、1時になろうとしていた。今から考えれば危険極まりないが、若さゆえか、誰もそんなことを気にしていなかった。
「先輩、運転疲れたら行ってください、俺ら変わりますから。」
「おお、そんときゃたのむは。ま、高速乗るまでは、道知ってんの俺だけだし。高速まではゆっくり行って60分位だし、高速乗った最初のSAで、運転変わってもらうかも。でもぶつけるなよ。俺の愛車。」
「大丈夫ですよ。」
皆で(と言っても、先輩、私含め4名でしたが)先輩の車に乗り込み、出発します。運転席に先輩、助手席にA、私ともう一人のBは後ろ座席です。走り始めて10分~15分ぐらいで、車は山道に差し掛かり始めました。この道を越えるとインターがあるとのこと。
「知ってるか?この辺りにはさ、神隠しの伝承があるんだ。」と先輩が話し始めます。
「ああ、俺の田舎でも、そういう伝承のある山がありました。」とB
「ああ、でもさ、ここは、明治になった後、いや、戦後でも神隠しが発生したらしいんだ。」
「まじっすか?」
「ああ、明治の頃、日本人は迷信にとらわれすぎている、って考えていた若い帝大の教授が、迷信であることを証明する。として、ここで、それを実行して、で、神隠しにあったんだと。」
「へえ?で、神隠し、って事は、当然そのまま行方不明なんですよね?」
「ああ、でな、その後、この辺の人達はそれを恐れて、この山に近づかなくなったんだ。でも戦後になって、その記憶が薄れたのと、戦後の雰囲気っていうのかな?30年ごろ、東京の大学院生達がここにきて、神隠し事件を調べようとしてさ、やはり行方不明になったんだ。」
「でも、戦後じゃ、警察とか動きますよね。いや、明治でも動いと思いますけど。」と私
「ああ、警察、消防団とか総動員で山狩りをしたんだけど、結局何の手がかりもなかったんだって。まあ、戦後になったとはいえ、田舎だから、年寄りとかはまだまだ迷信深くて、最初は山に入りたがらなかったって話だけど。」
「へえ、新聞に載ったんですかね?」
「地元の新聞には載ったらしい。」
「何かの事件に巻き込まれたんですかね?」
「まあ、そんな所かもしれないが、地元の年寄りたちは、やっぱり神隠しの伝承は本当だった。物見遊山気分だから、神隠しにあったんだ。って噂し合ったんだ。」
「なんか横溝正史の小説か、浅見光彦みたいですね。」
「神隠し伝説殺人事件とか」
軽く笑う4人。
「そういえば、俺の田舎でも・・・」Bが話を引き継いで、地元の怪談を話し始めました。 Bが話を終えた後、Aが、自分が高校時代に聞いた学校の怪談を始めました。こうなると私も話さないわけにはいきません。私も中学の頃聞いた怪談話を話します。
で、私が話し終わると、促されたわけでもないのに、再びBが怪談を始めましたまあ、眠気覚ましには話をするのが一番と言われているし、危険な夜間のドライブ、みんなで、こうやって話し(しかも怪談)ていれば、眠気も飛ぶかもしれない。
私もそう思い、Bの後、再び怪談を始めたAの話が終わった後、怪談を始めました。B→A→私、の順番で、話を続けます。
途中で先輩も話に巻き込もうとしましたが、運転に集中したい。また、怪談聞いていれば眠くならないから、聞き手に回っています。結局、私、A、Bで会談を続けることになりました。
どのぐらい時間がったったのかは、時計を見ていなかったので覚えていませんが、途中で少々妙なことに気が付きました。もう10回以上私は怪談をしているのです。
B→A→私。
という順番は堅持されていたので、皆で30以上の怪談を話していることになります。一つの話に3分としても90分はかかっている計算になります。もう高速に乗っていてもいい筈ですが、まだ山道から出た気配すらありません。
『こういう状況だから、時間が長く感じるのかな?』疑問に思ってもいましたが、同時にそうとも考えました。
「おい、○○、お前の番だぞ。」
「ああ、じゃあ・・・・」
Aに促され、再び私も怪談を始めます。で、頭に沸いた疑問もそこで打ち切りになり、再び怪談話の輪に戻ります。
「・・・・・・という話だ。」
Aが、何度目になるかは分からない怪談を終えます。『次は俺の番か』どの話をしようか考え始めた時、ふと、先ほどの疑問が頭をよぎります。
あの後、10回、いや20回は、怪談を話しています。合わせれば30回以上は怪談をしていたような気がします。いや、実際はそんなにしていないかもしれませんが、かなりの回数の怪談を話したのは事実です。
時間で言えば、1時間、いや、2時間はとっくに経過していていいはずです。なのに未だに山道から出ていないのです。
『道に迷ったのかな?』そうも思いましたが、それにしても時間がかかりすぎです。ここが何処かはわかりません
(カーナビもない時代(一応あるにはあったが、学生の車に搭載できるような代物ではなかった))
周りは真っ暗。いや、真っ暗すぎます。まさに墨を流したような暗闇です。一気に不安が広がります。 「今のAの話で99話目だ。」
「え?」今まで黙っていた先輩が突然口を開いたので、驚いて聞き返す私。
「だから、今のAの話で、怪談99話目だったんだよ。」
「へえ、そんなに話したんですか俺ら。」気軽に受けるB
「案外怪談知っているもんなんですね。」Aも普通に受け答えしている中、私だけが、混乱し始めていました。
99話、一話3分程として、300分近い時間、つまり5時間は経過しているはずです。出発したとき1時なのですから、今の時間は、6時近く。もう、夜が明けていいはずです。いや、それほどの時間がたっていなかったとしても、高速のインターにはとっくに着いているはずです。
なのに相変わらず山道らしいところ、というか、何処かすらわからない、真っ暗闇の中を車は走り続けているのです。恐怖の感覚が私を襲いました。
「百物語って知っているか?」恐怖にパニック寸前の私をしり目に先輩は話を続けています。
「ああ、ろうそく百本立てて、一話ごとにろうそく消していくって奴でしたよね。」とB
「俺たちそれできましたね。ま、車内で100本蝋燭立てられないけど。」とA
「ああ、で、100本目が消えると、妖怪、幽霊が現れる。」と先輩
「俺たちも蝋燭消していたら、現れますかね?」とB
『ちょっとまって、ちょっとまって、ちょっとまって』
先輩の話に、平然と相手をしているA、Bに対して、すでにパニックになりかかっている私。叫びだしたかったが、恐怖のためか、緊張のためか、声が出ません。
「ああ、出るかもな。でもさ、実は百物語っていうのは、最初は、真っ暗な中、屋外で、怪談百話を話すものだったんだ。」
「へえ、初めて知った。」とB
「ああ、この辺りでは、少なくともそうだったらしい。で、100話を話し終わると、妖怪が出るんじゃなくて、そういう物がいる異界への扉が開いてそこに引き込まれる。ってものだったんだ。」先輩が妙に抑揚の、いや、感情のない声で話します。
「へえ、異界への扉って、漫画みたいですね。」とB
「ああ、で、明治の帝大教授や、昭和の院生も、この地に伝わるその伝説を聞いて・・・」
「ちょっと待ってよみんな!!」
やっと声を放つ私。
「なんだよ、○○ビビったのか?」とA
「そうじゃないよ、先輩、ここどこですか?
周り真っ暗、街頭ひとつない、何時になったら高速に出るんですか?」
恐怖でほとんど涙声になっていました。
叫んでいるうちに気が付きましたが、この車、一度も止まっていません。いや、よくよく考えてみると曲がった気配すらないのです。周りは真っ暗、いや、ヘッドライトすらついて居なのです。前方も真っ暗な闇です。
『なぜ今頃気が付いているんだ!!』
自分に毒づきましたが、このまま先輩の話し続けさせたら、危ない、いや、そんな生易しいものですらなくなる。なんと言うのか、そんな言いようのない、本能的な恐怖に駆られ、私は、パニックと恐怖で、涙声になりながらもつづけました。
「よく考えろよ。なんでこんな周り真っ暗なんだよ!!99話怪談話したんろ?いったい何時間たっているんだよ?なのに、なぜ、何処にもつかないんだよ!!」
「もうすぐ着く。いいから黙ってろ。」抑揚と感情のない、なんというのか、先輩の声ですが、先輩でない誰かが話している、そんな感じの声でした。
「その前に車止めてください!!とにかく!!」
ここで黙ったらおしまいだ。とにかく先輩にこれ以上話をさせてはいけない。そんな感じで、絶叫に近い声で、先輩に言いました。
「せ、先輩、とにかく車止めましょうよ。」とBやっと現状に気が付いたのか、Bも少々あわてた声で先輩に言います。
「話しが終わったら着くから黙って聞けって。」相変わらず抑揚のない声で話す先輩。
「B、ブレーキ踏め、ブレーキ」完全にパニック状態の私。
「先輩、話の前に止めて、ドア開けてください。そうしたら、聞いてもいいですから、先輩の話」Aもすでにパニック状態なのか、大声で叫んでいます。
「この山で、100物語を・・・・」完全にパニック状態の我々三人をしり目に、先輩が、抑揚と感情のない声で続けます。
「先輩、すみません!!」
そういって、Bが先輩の横っ面を殴りました。
キキキー
急ブレーキの甲高い悲鳴とともに車が止まりました。シートベルトは着けていましたが、前席に頭をぶつけました。
「ああ、すまんみんな、大丈夫か?」と、先輩
周りを見ると、遠くですが、民家の明かりが見え、道の先にある街頭も見えます。何よりも、ヘッドライトの明かりが見えます。
『も、戻れた』
なぜそう思ったかは知りませんが、安堵感と、恐怖から解放された感覚で、全身の力が抜けていくのを感じました。
先輩は、車から降りて、車の前の方を確認していました。
「すまん、目の前を横切った、白い影が見えたもんで。って、どうしたんだ、お前ら?」
車内3人の尋常ならざる雰囲気に、先輩が、質問します。少なくとも、先ほどの先輩ではなく、何時もの先輩であることに間違えはないようです。我々3人も外の空気を吸うため車外に出て、落ち着いた後、今までの経緯を先輩に話します。
「お前ら、俺担いでいるのか?」
先輩の話だと、山道に入って、「この辺りに神隠しの伝説がある」って話した時、黒い靄のようなものがかかった感覚があったので、『眠気に襲われたか?』と思ったら、なんか、白い影が見えたので、急ブレーキを踏んだとのこと。そう、その後の話は、先輩の記憶にはないのです。
先輩のはなしだと、確かに、この辺で、明治時代、昭和30年代に、神隠し事件があったこと。この辺りの伝承だと、夜中に、屋外で、夜が更けてから、夜明けまでの間、百話怪談をすると、異界に行ける。という伝承があること。
地元の郷土史研究家とかは、戦国や、江戸時代、まだまだ過酷で、飢饉とかに結構頻繁に見舞われていた時代。
(しかも、この辺りは、土地が痩せていて、貧しい地域だったのだとか)
そういう『苦しい浮世を捨て、別世界に行きたい』的な信仰があったから、そんな伝承が生まれたのではないか?と、言っているのだとか。
で、明治時代の教授(と、その助手たちもいたのだとか)、30年代の大学院生は、それを実行したといわれているのだとか。
「確かに俺も、その話聞いたときは、やってみたいな、って思った事はあったけど・・・」
先輩もさすがに青い顔をしていました。時間を見ると、1時30分過ぎ、山道の入り口は、すぐではありませんが、下に見えました。そして、車の横には、小さな、石造りの祠が見えました。皆黙って、その祠にお祈りをした後車に乗りました。不可思議な体験の後でしたが、なんと言うのか、もう大丈夫という、妙な安堵感があり、恐怖はあまり感じませんでした。
「わり、左の頬が少し痛むんで高速の入り口で運転変わってくれ。」
「あ、ああ、いいですよ、俺が運転しますんで」とB
その後は何事もなく無事東京につきました。
が、その後、いくら思い出そうとしても、30話近い怪談話は思い出せません。最初に話した数話は確かに覚えているのですが、その後、どんな話をしたのかが、まったく思い出せないのです。
が、その不可思議な体験、何よりも、あの真っ暗な光景は、今でもありありと覚えています。
最近部のOB会で久しぶりに、先輩、A、Bと会いました。話題になったのは、やはりあの時の不可思議な経験です。
「まあ、ハイウェイヒュプノシスとか、集団催眠みたいな状態だったのかも?」
不可思議な体験を、無理やり説明づけようとするわれわれ。そんな私たち三人に対し、少々ためらったってから、先輩が
「実はな、あの道で、最近、失踪事件が起こったんだ。」
何でも、地元の若者たちの乗った車があの道に入ったのを目撃されたのを最後に、その後行方不明になっている人たちがいるのだとか。

某ファミレスの駐車場で、交通事故を目の前で目撃したある女性の話だ。

Posted on 10月 16, 2017

某ファミレスの駐車場で、交通事故を目の前で目撃したある女性の話だ。
直線道路で対向車が急に反対車線に飛び出してきての正面衝突事故だった。
飛び出した方は軽自動車で相手はトラック、軽自動車はトラックの下敷きになり、運転していた主婦は運び出された時には既に死亡していたそうだ。
この事故の起きた場所は同じような正面衝突が過去に3回も起きており、対向車線へ飛び出した方の運転手は何れも即死、3人とも30代半ばの主婦で衝突した相手は何れも大型トラックだが、少し不自然な点がある。
その場所は見渡しの良い直線で、仮によそ見や居眠りをしていたなら徐々に対向車線へ曲がっていくはずだが、急激な進路変更により対向車線へ飛び出していくのをこの女性は目撃している。
警察に目撃証言をしたが、進路変更の仕方に不自然さはあるがよそ見か居眠り運転以外には考えられない、と言われてしまったという。
しかしこの女性はこの直後から、たびたび変な夢を見るようになった。その時の事故の夢なのだが、不思議なことにその女性が見た風景ではなく、軽自動車の主婦から見た風景なのだ。
トラックのナンバーまで見えるし、ファミレスの駐車場に居る自分自身も見える。
衝突する直前、誰かに腕を凄い力でつかまれて、対向車線へ飛び出して衝突するところでいつも目が覚める。
この夢はあの主婦が死ぬ直前に見た光景なのだろうか?
この夢が真実なら、あの主婦はよそ見や居眠りをしていたのではなく、誰かに・・・。

俺には、幼馴染の女の子がいた

Posted on 10月 14, 2017

俺には、幼馴染の女の子がいた。家も近くて親同士の仲も良く、俺とその子も同い年ってこともあって小さいうちから一緒に遊んで(遊ばされて)た。
まぁだいたいそういう関係ってのは、歳をとるにつれて男の側が気恥ずかしくなって疎遠になってくものだけど、例に漏れず俺もそうだった。
小学校の高学年ぐらいになると、道ですれ違っても
「よう」
「やあ」
ぐらいのあっさりした関係になってた。
で、中学2年のときの夏休み、その子が突然、うちに来た。とうもろこし持って。
たぶん、向こうの親に、うちに届けるように頼まれたんだろう。俺はそう思ったし、向こうもそんな雰囲気だった。
あいにくその時、うちの親は外出してて、俺一人だった。とうもろこしもらってハイさよなら、ってのもなんだかなー、と子供ながらに気を利かせて「あがってく?」と彼女を家に入れた。
麦茶を出して、まぁあたりさわりのない会話をした。担任がどうとか夏休みの宿題がおわんねーとか。だんだん打ち解けた雰囲気になって
きた時、彼女が不意に「今度○○神社行かない?」と言い出した。
○○神社は、うちから自転車で10分ぐらいのところにあって、周りが木々で囲まれてて昼でも薄暗い、用がなければあんまり入りたくないところだった。当然俺は「え、なんで?」みたいな感じで聞き返した。
そしたら彼女は「あ、怖いんでしょ。」と、ちょっと馬鹿にしたような顔で笑いながら俺をみてきた。
そーなると、「そ、そんなことないやい!」的なノリになり、まぁ結果的に彼女の術中にはまってしまったわけで。
さすがに夜は怖いんで、何とか理由つけて(夜は家族で外食するから、みたいなバレバレの嘘)、次の日の昼間行くことにした。
で、当日。現地集合ってことで、俺が神社に着くと、彼女はもう着いてて俺を待ってた。真っ白いワンピースと真っ白い帽子。
普段絶対しないカッコで、恨めしそうに石段に座ってた。「おっそーーい」昨日とはうって変わってフレンドリーな第一声をもらいつつ、神社の前まで二人で歩く。
石段を登る途中、彼女は俺にいきなり「○○君は、霊って信じる?」と聞いてきた。
普段しないようなカッコで、人気のない神社に誘われ。多少なりとも別のことを想像してた俺は、安心半分、がっかり半分
(幼馴染とはいえ、目がおっきくてちょっと釣り目で、猫みたいな感じのかわいい子だったからちょっとがっかり)ぐらいの気持ちで「信じるわけないじゃんw」と即答。
「じゃあ、今日で信じるようになるかもよ?」ととんでもない事を言い出す彼女。
「私、霊とかそーいうの、好きなんだ」おいおい電波ですか。
「会いやすいように、白ばっか着てきたんだ」そーゆーことですか。
唖然としながらとうとう神社に到着。快晴ならまだしも、ご丁寧に石段を登り出したあたりから曇り出し、嫌ーな暗さの神社一帯。
「じゃあ始めようか?」大きな目を更に大きく開いて、彼女が笑う。彼女が言うには、神社の周りを二人が取り囲むように走って回る。
二人の合流地点で、すれ違いざまに霊が見える、といううわさがあるらしく、実験の相手を探してたんだと。
「1周ぐらいだと見えるかどうか微妙らしいんだけど・・・」けど何ですか。
「8周回ると、二人とも連れて行かれちゃうんだって」勘弁してくれ。
とはいえ、男と女、幼馴染、同い年。断れない条件は揃っている。引いたら負けだ。という心理には勝てず、結局やることに。
神社の入り口を出発点に、互いに時計、反時計回り。ちょうど神社の裏に松の木が生えていて、そのへんが合流地点となる。
「行くよ・・・よぉーい、どんっ!」なんでそんなに明るい。
内心半ベソ状態で走り出す。神社の脇を抜け、松の木へ。反対側から彼女が走ってくる。手を振ってるし、笑ってる。
周りには何も見えない。霊の姿なんてどこにもない。彼女とすれ違いざま、彼女の「全然(見えない)」という声だけが聞こえた。1周目はつつがなく終了。
そのまま2周目、3周目に突入。1周目で何も見えなかったこともあり、俺も心に余裕ができ、向かってくる彼女に手を振ったり、「いねーじゃん!みえねーじゃん!」と笑いながら叫んだりしていた。
対照的に彼女は、2周目、3周目と数を重ねるごとに笑顔が消え、すれ違うときも無言になっていた。
「このぶんだと、8周したって全然おk」
そう思いながら迎えた7周目。彼女が俺とすれ違う瞬間、強烈なラリアットを俺にかました。
不意の急襲に喉をやられ、悶絶する俺。
彼女は苦しむ俺の手を強引に引っ張り、「早く!」と神社から逃げるように走り出した。
わけもわからず一緒に走る俺。石段を下り終え、止めた自転車もそのままにして更に走る。
神社が見えなくなったあたりで、彼女はようやく足を止めた。
喉の痛みと走ったあとの息切れが収まり、ようやく彼女に文句を言った。
「何でラリアット???」
彼女が答える。「見えてなかったの?」
は、何がですか?別に何も、と答える俺。彼女は首を振りながら
「○○君の後ろ、2周目あたりから手とか顔とかが追いかけてきてたの。だんだん数が増えてって・・・7周目には○○君に絡みついてた。○○君がそんなだったから、8周目はやめとこうと思って。」
もし8周してたら・・・ と俺がつぶやくと同時に、俺の背後から小さく
「ちくしょう・・・」呻くような声がはっきり聞こえた。
その声を聞いたかどうだか、彼女は
「私はともかく、○○君はやばかったね。家帰ったら、背中みてみな?」と、笑った。
彼女に言われるまでもなく、帰ったとたん、母親に「あんた、どーしたのその背中?」
どーしたもこーしたも、シャツには手形がびっしり。その一件以来、彼女にはいろいろと協力をさせられている。

高校のころ友達Mから聞いた話です

Posted on 10月 12, 2017

高校のころ友達Mから聞いた話です。
Mの兄は大学の友人2人と南国(国忘れた)に卒業旅行に行ったそうです。
で、観光してるときにバンジ-ジャンプがあったので3人はやってみることにしました。
Mの兄と一人はすぐ飛んだのですが、もう一人がなかなか飛びません。痺れを切らし、 その人を押して、飛ばしてしまいました。Mの兄は下にいてその飛んだ瞬間を写真に撮りました。
が、なんとその人はバンジーのひもが切れて下の湖に落ちて亡くなってしまったそうです。
押した人はもちろん、Mの兄も罪悪感でいっぱいだったそうです。 日本に帰ってからMの兄はそのカメラを写真屋にだし、とりに行くとその写真屋は
「これは渡せない」と言い、なかなか渡してくれなかったそうです。それでもなんとか 写真をもらい、うちに帰ってきたMの兄は「怖いからいっしょに見てくれ」とMに いい、二人でその写真を見ると、そこにはその友人が足についているゴムを伸ばしきって 下の湖に頭の先をつけている写真だったそうです。
それはただのバンジーの瞬間の 写真だったのですが、一つ違うのはその湖から大きな白い人が出ていて(もう写真いっぱいに 写っていたそうです)腕を伸ばし、手をチョキの形にしてその友人を釣っているゴムをまさに 切ろうとしていた瞬間だったそうです。
その写真はその友人の家族に差し上げたそうです。
これを聞いて以来いつかやろうと思っていた バンジーをやる気がなくなりました・・・。

杉沢村

Posted on 10月 10, 2017

某県八○田山系の裾野に杉沢村という小さな村があった。
ところがある日、この村に住む一人の男が突然発狂して住民全員を手斧で殺害、犯行後男もまた自らの命を絶ってしまったため村には人が一人もいなくなってしまったのだ。
この事件により村として成立しなくなった杉沢村は、事件を覆い隠そうとする自治体によって密かにその存在を抹消された。
地図の上から名前を消され、某県の公式記録の中からも名前を消され。廃墟と化した杉沢村にはそれ以来近づくものはなく、50年の歳月が静かに流れていった。
ところが…
いかに某県が真実を隠蔽しようとしても、人々の記憶までは消せるものではない。杉沢村の事件は地元の老人たちによって語り伝えられ続けていた。
一説では作家の横○正史はこの杉沢村の事件を伝え聞き、その話をモデルにして「八つ墓村」を執筆したとも言われている。
杉沢村の事件は地元の住人にとって言わば公然の秘密であったのだ。
ある日のこと、某県の山中をドライブしていた3人の若い男女が道に迷い、山奥にある古ぼけた鳥居の前にたどりついた。
鳥居のすぐ下には大きな石が二つあり、そのうちの一つはドクロのような形に見える。運転手の若者はこの時、昔聞いたある噂のことを思い出した。
ドクロ岩のまつられた鳥居が杉沢村の入り口であるという噂を。
男たち二人は車から降りると「恐いからやめようよ」といやがる女を連れだし、杉沢村を探検してみることにした。
鳥居をくぐり100mほど杉林の中を歩いて行くと、不意に3人の前に空き地が広がり、そこに4軒の古びた廃屋が姿を現した。
そのうちの一軒の家に3人が足を踏み入れると、その家の内壁には大量の乾いた血の跡がある。
男たちが背筋に寒いものを感じたとき、連れの女性が突然こう叫びだした。
「ねえ、絶対に何かおかしいわ。人の気配がするの!」
驚いた3人が慌てて廃屋の外に飛び出すと、確かに彼らを囲むように大勢の人がいる気配を感じる。
3人は大急ぎで車へ向かい走り始めた。ところが、どうしたことだろう。どんなに走り続けても、なぜか車のもとへたどりつくことができないではないか。
広場から車までの距離はほんの100mほどであったはずだし、道も一本なので迷いようがない。
それなのに、3人は行けども行けども杉林の中から抜け出すことができないのだ。
いつしか3人ははぐれてしまい、女性一人だけが長い間走りつづけた後、どうにか車まで戻ることが出来た。
幸い車のキーは刺したままになっている。彼女は助けを呼びに行こうと運転席に乗り込み、車を発進させようとキーを回した。
ところが、なぜかいくらキーを回してもエンジンがかからない。彼女は泣き出しそうになりながら何度も、何度もキーを回し続けた。
その時…
「ドン、ドン、ドン!」
突然車のフロントガラスから大きな音が鳴り響いた。見ると車のフロントガラスを血に染まった真っ赤な手が激しく打ちつけている。
いや、フロントガラスだけではない。車の前後左右の窓に無数の血まみれの手が現れ、一斉に窓ガラスを突き破るかのような勢いで叩き始めたのだ。
彼女は恐怖でその場にうずくまると、やがて意識を失ってしまった…。
翌日の朝、
地元のとある住人が山道の途中で、血の手形が無数につけられた車の中で茫然自失となっている彼女の姿を発見した。
彼女の髪は恐怖のためか一夜にして白髪と化していたという。
病院に運び込まれた彼女はそこでこの恐怖の体験を物語った後、突然姿を消してしまった。
これ以後彼女の姿を見たものはなく、彼女の連れであった二人の男性も姿をくらましたままである。
呪われし悪霊の村・杉沢村。
ここに足を踏み入れたものに、命の保証はない。

私の一番古い記憶は三歳。木枯らしの吹く夕方、一人でブランコを漕いでいるところ

Posted on 10月 10, 2017

私の一番古い記憶は三歳。木枯らしの吹く夕方、一人でブランコを漕いでいるところ。
手も足もかじかんで、とても冷たい。でも今帰れば母に叱られる。 祖母に迎えに来て欲しい、ここはいつも来る公園なのだからきっとすぐわかるはず。
そのうち、風に揺られてるのかブランコに揺られてるのかわからなくなる。
私は母に虐待されて育った。
飲み物をこぼした、ちょっと足音をたてて歩いた、声を出して笑った。そんな理由ですぐ折檻された。
気が済むまで殴られる、安全ピンでお尻を刺される、冬に水風呂に入れられる。 煙草を吸わされ背中を灰皿にされる、食事を抜かれる、家に入れてもらえない。
私に向かって拳を振り上げる母は、喜んでいるように見えた。 父は見て見ぬ振りをした。
失敗して叱られ何度も蹴られる私の横で、テレビを見ながら食事をしてた。
終わると、「お母さんの言うことをちゃんと聞きなさい」と言った。 助けてくれたのは祖母だけだった。折檻の傷の手当てをして、一緒の布団で眠ってくれた。
私をかばい、代わりに蹴られてしまったことすらある。それを見た時、恐ろしさに泣いてしまった。
お前のせいで痛い目にあったと叱られるんじゃないかと思った。 それ以上に、もう自分を嫌いになるんじゃないかと思って、恐怖で息が詰まりそうだった。
二人で部屋に戻ると泣きながら祖母の足に湿布を貼り、自分は殴られても大丈夫だから、いいからと 必死に訴えた。何より祖母に嫌われるのが怖かった。
祖母は私を抱きしめて泣いた。そしてそのまま一緒の布団で眠った。
あれは多分五歳頃。ふと夜中に目を覚ますと、隣で眠ってるはずの祖母がいなかった。 きっとトイレに行ったんだろうと思い、そのまま目を瞑った。
でも、しばらく経っても戻ってこない。 もしや母に何かされたのかと思い、そうっと起き上がり、襖の外の様子を伺った。
何も聞こえない。音をたてないように襖を開け、祖母を探しに出た。 真っ暗な家の中、どこにもぶつからないようにと注意していた。気づかれればまた殴られる。
トイレにも台所にも、居間にもいなかった。もしかして自分を置いて出て行ってしまったのだろうかと思い、居間を通って玄関に靴を見に行こうとした。
庭に面した窓のカーテンが、少し開いている。外に人が立っているように見えたので、隙間から覗いてみた。
祖母がいた。こちらを向いて、無表情に突っ立っている。 良かった、私を置いて行ったんじゃなかった。安堵で胸が一杯になり、カーテンを開けようとした。
すぐに思い留まった。何かおかしい、いつもの祖母と何かが違う。あんな気味の悪い祖母は見たことない。
何がおかしいのかはすぐにわかった。 祖母は犬の首を持っていた。どこから捕まえてきたのだろう、薄い茶色で、舌がでろりとたれている。
大きさは多分中型くらい、それでも首を切るのは大変だっただろう。 犬の頭も、足元に転がった体も、祖母も、赤く染まっていた。
しばらく突っ立ったままだった祖母はやがてだるそうに犬の胴と頭を持ち、どこかに行ってしまった。
見てはいけないものを見たんだろう。私は震えながら布団に戻り、 どうか祖母を元に戻して下さいと神様に祈っていた。神様なんていないとわかっていたけれど。
目が覚めると、祖母は隣で眠っていた。
元に戻っていなかったらどうしようと思い、起こさずにずっと見つめていたら、目を覚ましてくれた。
「おはよう、おなか空いたかい?」そう言って笑ってくれた祖母は、いつもの祖母だった。
あぁ良かった。安心して、うん、おなかすいた。と返事をした。
祖母から漂う生臭い匂いは、気にしないことにした。
家の中を、狐や狸や犬のようなものがうろうろしているのが見えるようになった。 父も母も気づいていないようなので、自分にしか見えていないんだろうと思った。
ある日祖母にそのことを言うと、とても嬉しそうな顔をした。 それは何をしてるんだい?と聞かれたので、ありのままを答えた。
父と母にまとわりついていて、それがくっついてると二人ともとても気分が悪そうだと。
夜中に母が叫ぶことが多くなった。昼間も青い顔をしている。どうやらあまり眠れないらしい。
母の体調が悪くなってから折檻はだいぶ減ったが、いらいらしているのだろう。 体中ライターの炎であぶられ、手のひらに研いだ鉛筆の芯を何本も差されたりした。
その頃から祖母に、玄関から出入りしちゃいけないよと言われた。 理由は問わなかった、大好きな祖母の言いつけだ。
祖母と私は裏の勝手口に靴を置き、そこから家に出入りするようになった。
家の中が生臭くなってきた。特に父と母から強く臭うようだ。 二人とも奇麗好きだったのに、だんだん身なりに構わなくなってきた。
爪が伸びて、中に黒いものが詰まってる。服もなんとなく汚れてる。お箸を使わない。
父が独り言を言うようになった。 何を言ってるのか聞きたくて、後ろからそっと近づいてみたが、聞き取れない。
父はとても臭い。それは獣の匂いなのか、父の下着に溜まった排泄物の臭いなのかわからない。
母が金切り声をあげる。空中に向かって包丁を振り回す。 そういえば最近、折檻されていない。もう母には私が見えていないのだろう。
七歳の時、市役所や病院の人が来て、父と母を連れて行った。 祖母は宜しくお願いしますと頭を下げていたが、みんなが帰ると私を振り返ってにっこりした。
私もにっこりした。大好きな祖母と二人だ、これでもう何も怖くない。
十三歳の時に祖母は脳梗塞で倒れ、体が不自由になってしまった。 家の中にいた獣達は、皆祖母にまとわりついていった。
そう告げると祖母はため息をつき、きっと返ってきたんだねぇと呟いた。 それから二年、痴呆でゆっくりと子供に戻りながら、祖母は他界した。
全身に原因不明の湿疹と蕁麻疹が広がり、掻き毟りながら逝ってしまった。 遺体を解剖して、死因は蕁麻疹で喉が腫れた窒息死だったそうだ。
原因不明の湿疹と蕁麻疹は、動物アレルギーからくるものだと言われた。 動物を飼ったことはなかったけれど、わかりましたと返事をした。
私はまだあの家に住んでいる。相変わらず勝手口から出入りしている。 獣達の姿も、獣のようになってしまった祖母の姿も見える。
祖母が何をしたのかは聞かなかったが、きっと私の為を思ってのことだろう。 どのような姿であれ、祖母が側にいてくれる。それだけで嬉しい。

その晩は雨が強く降っていた

Posted on 10月 08, 2017

その晩は雨が強く降っていた。
現場に着き、トンネルの手前で車を脇に寄せ、一時停車。 その手の感覚は鈍いほうだが、不気味な雰囲気は感じた。
「恐い場所だ」という先行イメージのせいもあるだろうが。
しばらく休憩の後、ゆっくりと車を進めトンネルに進入開始。こういう体験は 始めてなので、ワクワクするような妙な高揚感を感じる。
友人達も いい年して遊園地の乗り物を前にした子供のような表情で目を輝かせていた。
それほど寂れた場所ではないとは思うのだが、後続の車は来なかった。 なので、スピードをかなり落として進んだ。何かが起こる事を期待しながら。
かし、特に何もおこらずトンネルの終端まで着いてしまった。 トンネルの壁などを観察していた友人たちも、別に妙なモノを見たわけではなさそうだ。
もう1度いってみよう、と提案が出て、皆賛成した。車をトンネルの端でUターンさせた。
今度も、何も起こらなかった。不満なので(と言うか、暇なので) 何度が往復してみよう、という事になった。
雨が強くなってきたのか、雨粒が車を叩く音がうるさくなってきた。 3,4往復ほどしただろうか、友人の1人が、「おい、もう帰ろう」と言い出した。
何も変わった事も起こらず、飽きてきたのだろう、と思った。 だが、何か声の調子がおかしかった。トンネルの出口が見えるあたりで 一旦車を止め、後ろを振り向いた。
帰ろう、と言い出した友人は肩を縮め、寒さに震えるような格好をしている。 もう1人は、その様子を見てキョトンとしている。
「え、どうした?何か見えたのか?」と聞いたが、 「いいから、とにかくここを出よう」と言う。”何か”を見たのか?期待と不安で 動悸が激しくなってきた。雨は一層酷くなり、ボンネットを叩く音が耳ざわりに感じる。
とにかく、一旦ここを出て、どこか落ち着ける場所を探す事にした。
国道沿いのファミレスに寄り、ようやく一息ついた。 夏も近い季節だというのに凍えるように震えていた友人も、ようやく 落ち着いてきたようだ。
「なぁ、もう大丈夫だろ?何を見たんだよ」
「聞こえなかったのか?あれが」友人は怪訝そうな顔で僕達を見た。
妙な怪音の類か?それとも声?しかし、僕には心当たりはなかった。 もう1人の友人も、何が何やら、といった表情をしている。
「別になにも・・・まぁ、運転してたし、雨もうるさかったしなぁ。」
「聞こえてたじゃんか!」いきなり声を張り上げられて、驚いた。
深夜なのでファミレスにはほとんど人はいなかったが、バイトの店員が 目を丸くしてこちらを振り向いた。 しかし、彼がなにを言っているのか理解できない。
「何が聞こえてたって?はっきり言ってよ」
気恥ずかしさと苛立ちもあって、少し強い口調で言ってしまった。
しばらく重い沈黙が続いたあと、彼が口を開いた。
「雨だよ、雨の音。」
「俺達はずっとトンネルの中に居ただろ!なんで雨が車に当たるんだよ!」

怖くないけど、不思議な小ネタ

Posted on 10月 08, 2017

怖くないけど、不思議な小ネタ。若しくは俺が病気なだけ。俺は今仕事の都合で台湾に住んでる。宿代もかからず日本からも近いからたまに友達が台湾に遊びに来る。そういう時の話。
今年の2月の初めの週に渡部(仮名)が遊びに来た。(と俺は思っている、まぁ読んでみて)その前の週からメールで連絡を取り合い、日本を出る前日に確認で電話もした。
奴は金曜日の午後7時に台北に着くフライトで来た。退社後迎えに行き、その日は食事してクラブで飲んで、まあ所謂海外赴任者の週末の典型を一緒に過ごしたわけだ。
奴は初めての海外ということもあり、大人のくせにハシャいじゃってすごく楽しかった。奴は高校からの付き合いでたった一人の親友だから久々に会えてホントに楽しかった。
初日は時間の関係で夜の遊びしかいなかったので二日目は市内の観光をした。俺はこっちに彼女がいて、その日は3人で観光した。一日中台北やその近郊を周った。
不思議な話が起こるのは3日目、奴が日本に帰る日曜日に起こった。
俺と彼女は奴を飛行場まで送った。チェック・インも済まし飛行場のレストランで3人で話してた時だった。
フト俺は渡部の手の甲にTatooがあるのに気付いた。
俺は去年の7月から台湾に赴任になったのだが、その前は奴はそんなTatooはなかった。奴は今でも新宿新都心の某ホテルのレストランで働いているので、そんなところにTatooをいれるとは考えられない。
ところで、俺は学生の頃に、4年くらいまえだが、アジアの旅行にハマっててその頃にインドで知り合った友達で全身にTatooいれてる奴がいた。
藤木(仮名)っていうんだけどそいつは世界を何周もしてるような奴で話題も多く楽しい奴だから日本に帰ってきたりすると飲んでた。
俺は渡部の手の甲のTatooに見覚えがあった。藤木のTatooと同じだった。酒飲む時って相手の手の動きをよく見る癖があるから憶えていた。
で、顔をあげて渡部も顔を見たら、何故か藤木が目の前に座ってるんだよね。全く状況を理解できなかった。ホンの何秒か前までは渡部が座ってた。
俺はその場で、そこに座ってる藤木に訊いたよ。「藤木、何でお前ここにいるんだ?」彼女にも「あれ?渡部は?」って。
藤木も彼女も一瞬アレッって感じで俺も見て、何言ってんの?って雰囲気。彼女は間違いなく土曜日も藤木と遊んだと言い張るし、藤木はまともに取り合ってくれない。
俺は気が狂いそうだった。
金曜日から俺は渡部と遊んでたんだ。
金曜日の夜にクラブで酒飲む時だって、土曜日に観光してる時だって俺は渡部と話してた。彼女に渡部と二人で遊んでた高校時代の話をしたのも憶えてるし。
俺も納得する(そういう問題でもないが)とりあえず藤木を送った。その後彼女に何度か訊いたが、彼女が知ってる限り(土曜日と日曜日)、藤木と俺にしか会ってないと言う。気になり初日に行ったクラブに顔を出し、そこで働いてるお姉ちゃん達にも訊いたが、返ってくる答えは藤木だったと。
皆手の甲のTatooを皆覚えていた。それでも納得いかなかったから、フィルムは残ってたが土曜日に撮ったフィルムを仕事で忙しいので彼女に頼んだ。
その三日間で、といっても写真を撮ったのは土曜日に観光した日だけだったが、写っていたのは渡部だった。
物理的な証拠で考えるとやはり俺が遊んでたのは渡部なのだ。ただ周りの話だと全て藤木。もっと不思議なのは渡部から写真が送られてきたこと。渡部とは今でもメールで台北での話をしている。
更に藤木が去年の暮れからインドに滞在していることを絵葉書で知ったこと。
因みに藤木は今回の俺の経験を全く知らない。俺は今でも何が何だかわからない。